やなせたかしについて

YANASE
TAKASHI
1919年2月6日生まれ。
高知県在所村(現・香美市香北町)出身の
両親の元で育ちました。
終戦後に三越百貨店宣伝部に入社し、
包装紙「華ひらく」のレタリングなどを
手がけました。
漫画家として独立後は、
ニッポンビール広告漫画「ビールの王さま」
をはじめ
多数の連載漫画を
手がけるようになりますが、
ストーリー漫画の興隆により
漫画の仕事は徐々に減少。
1960年代にはテレビ・ラジオ番組の構成や
舞台の美術監督など
多様な創作活動を行うようになり、
マルチタレントと評されるようになります。
その中でいずみたく作曲、やなせ作詞による
「手のひらを太陽に」を発表。
多くの作詞を手がけた
やなせの代表作となっています。
1969年、50歳の時に
雑誌『PHP』にて「アンパンマン」を発表。
1988年には
テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」
の放送が開始され、
その登場キャラクター数(1768体)は
2009年にギネス世界記録に認定されました。
以後も精力的な活動を展開していましたが、
2010年頃に目が悪くなったことを理由に
引退を考えます。
しかし、東日本大震災を機に引退を撤回。
被災地に送るポスター制作など
多数の支援を行いました。
2013年10月13日、94歳で永眠。
「人生は喜ばせごっこ」
という自身の言葉の通り、
「アンパンマン」をはじめとする
多くの創作活動、
そして自身の人生そのものを通して
その精神を体現し続けたのです。
1900
漫画家として
やなせたかしは1953年に漫画家として独立しました。初期には「ビールの王さま」のような広告漫画や成人雑誌・新聞への連載漫画を多く手がけています。
帽子をかぶり顔がみえないキャラクターが主人公として登場する「ボオ氏」は、様々な媒体で描き続けた作品です。ウィットに富んだ4コマのサイレント漫画は、“パントマイム”漫画と自ら称したやなせの真骨頂といえます。
絵本作家として
おなかがすいた人に自分の顔を食べさせて助ける正義のヒーロー「アンパンマン」を生み出したやなせたかし。それ以降、やなせは子どもたちを対象とした仕事に活躍の場を広げていきました。
アンパンマンの絵本をはじめ『やさしいライオン』『チリンのすず』など、世代を超えて読み継がれています。
詩人として
仕事について悩み迷う中、代表作「てのひらを太陽に」が生まれました。「てのひらを太陽に」も収録された『愛する歌』は、詩集としては異例のヒットとなります。難解な言葉ではなく、誰にでもわかる言葉でうたった詩は多くの人の共感を呼びました。亡き弟を想いうたった抒情詩「おとうとものがたり」、雑誌『詩とメルヘン』や高知新聞に連載されたエッセイなど、やなせたかしの言葉には、独特の響きとリズムがあります。
編集者として
詩と絵と漫画を絵本形式でまとめ、作品は読者からの投稿を主体とした雑誌『詩とメルヘン』を創刊しました。以来やなせは30年来にわたってすべての表紙絵と編集を手がけます。そこには、幼少期に親しんだ抒情の世界を織り込み、大衆芸術を豊かなものにしたいという願いが込められていました。また、子どもからの投稿が増えたため生まれた姉妹誌『いちごえほん』と、アーティストを志す人々の手引書として『イラストレ』も創刊させ、これらの雑誌から多くのアーティストを輩出しました。
デザイナーとして
戦後、三越百貨店宣伝部に入社。ポスターのデザインや社内報の漫画などを手がけました。猪熊弦一郎デザインの包装紙「華ひらく」のレタリングはこの頃。漫画家として独立した後、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」では、舞台装置のデザインを担当しました。また手塚治虫からの依頼により、アニメ映画「千夜一夜物語」の美術監督・キャラクターデザインを手がけます。以降多くのキャラクターを生み出し、現在も様々な場面で「やなせキャラクター」をみかけることができます。
エンターテイナーとして
「人間が一番うれしいのは人を喜ばせること」とやなせたかしは語ります。1958年宮城まり子からリサイタルの構成を頼まれたことでステージの仕事を覚え、その後永六輔やいずみたくと出会い、出版した詩集や絵本のコンサートやミュージカルの経験を重ねました。ミュージカル用に作詞作曲した作品を自身で歌い上げるCD「ノスタル爺さん」を発表し、84歳でCDデビューを果たします。晩年は自らが主催したパーティーやコンサートで歌声を披露することもありました。
やなせうさぎとは?
やなせたかしが
自画像がわりに描いているキャラクター。
やなせたかし記念館別館の
ロゴマークにもなっています。
ぼくはヒツジ年ですから
羊でもよかったのですが、
描きにくい。兎は描きやすい。
それに臆病で逃げ足が速く
闘争心がない。
闘う武器がない。
そのへんがいいなと思って
サングラスかけた「やなせ兎」を
つくりました。
やなせたかし『人生なんて夢だけど』
2005年、フレーベル館
やなせたかし略年譜
1919
大正
8年
0
2月6日、父・柳瀬清、母・登喜子の長男として生まれる(本名:柳瀬嵩)。高知県在所村(現・香美市香北町)出身
1937
昭和
12年
18
東京高等工芸学校工芸図案科(現・千葉大学工学部)入学
1940
昭和
15年
21
東京田辺製薬入社
1941
昭和
16年
22
応召、九州・小倉の部隊に入隊
1943
昭和
18年
24
中国大陸に出兵。上海近郊の泗渓鎮で終戦を迎える
1946
昭和
21年
27
中国より帰国、帰郷

高知新聞社入社。社会部記者を経て『月刊高知』編集室配属。そこで後に夫人となる小松暢と出会う
1947
昭和
22年
28
上京。三越百貨店入社。包装紙「華ひらく」(猪熊弦一郎デザイン)の制作に携わる(「Mitsukoshi」はやなせ筆)

仕事の合間に様々なメディアに漫画を投稿。小島功を中心とした若手漫画家集団「独立漫画派」に参加
1953
昭和
28年
34
三越百貨店退社、フリーになる
1954
昭和
29年
35
ニッポンビール(現・サッポロビール)の広告漫画「ビールの王さま」はじめ連載漫画を多数手がける

「漫画集団」に参加
1960
昭和
35年
41
テレビやラジオ番組、リサイタルの構成、雑誌のインタビューなど多彩な活動を行う

ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」(永六輔監修)に美術担当として参加。
作曲家いずみたくと出会う
1961
昭和
36年
42
「手のひらを太陽に」作詞(いずみたく作曲 宮城まり子歌)
1962
昭和
37年
43
「手のひらを太陽に」がNHK「みんなのうた」で放送され、後に音楽の教科書にも掲載される
1964
昭和
39年
45
NHK「まんが学校」に講師として出演('64 ~ '67)

東京12チャンネル(現・テレビ東京)のテレビ映画「ハロー CQ」(羽仁進監修)の脚本担当
1965
昭和
40年
46
『まんが入門』(華書房)出版

初めての創作絵本『飛ぶワニ』(岩崎書店)出版

『映画芸術』『映画の友』など映画雑誌へ連載していたシネエッセイを収録した『しね・すけっち』出版
1966
昭和
41年
47
詩集『愛する歌』を山梨シルクセンター(現・サンリオ)より出版
1967
昭和
42年
48
文化放送のラジオドラマに「やさしいライオン」を執筆

コマ漫画「ボオ氏」で週刊朝日マンガ賞受賞
1969
昭和
44年
50
雑誌『PHP』に短編を一年間連載、10月号に「アンパンマン」登場

アニメ映画「千夜一夜物語」(手塚治虫原案・総指揮)の美術監督とキャラクターデザイン担当

虫プロダクションより短編アニメ映画「やさしいライオン」制作、監督・原作・脚本担当
1972
昭和
47年
53
絵本好きの漫画家と「漫画家の絵本の会」を結成
1973
昭和
48年
54
雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)創刊。同誌編集長を務める('73 ~ '03)

フレーベル館の月刊絵本『キンダーおはなしえほん』10月号に「あんぱんまん」掲載(1976年市販化)
1975
昭和
50年
56
サンリオよりアニメ映画「ちいさなジャンボ」制作、監督・原作・脚本担当

『詩とメルヘン』に連載メルヘン「怪傑アンパンマン」掲載

雑誌『いちごえほん』(サンリオ)創刊('75 ~ '82)

絵本『それいけ!アンパンマン』(フレーベル館)刊行
1976
昭和
51年
57
『いちごえほん』に「れんさいまんが あんぱんまん」掲載
1982
昭和
57年
63
雑誌『イラストレ』(サンリオ)創刊('82 ~ '85)
1988
昭和
63年
69
日本テレビ系列でテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放映開始
1989
平成
元年
70
劇場版映画第1作「それいけ!アンパンマン キラキラ星の涙」公開
1990
平成
2年
71
読売新聞日曜版に漫画「とべ!アンパンマン」連載開始('90 ~ '94)
1992
平成
4年
73
「第1回全国高等学校漫画選手権大会(まんが甲子園)」開催、審査委員長となる
1994
平成
6年
75
東京都新宿区にやなせたかしの店「アンパンマンショップ」開店

高知県香美郡香北町(現・香美市)名誉町民
1996
平成
8年
77
「やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」開館

少年少女新聞に漫画「ピョンピョンおたすけかめん」連載開始('96 ~ '00)
1998
平成
10年
79
「やなせたかし記念館 詩とメルヘン絵本館」開館
2000
平成
12年
81
テレビ朝日系列でテレビアニメ「ニャニがニャンだ一ニャンダーかめん」放映開始('00 ~ '01)

「20世紀デザイン切手 シリーズ第16集」の題材としてアンパンマンが起用される

北海道富良野市にやなせたかしの店「アンパンマンショップふらの店」開店
2001
平成
13年
82
「やなせたかし記念館 別館」開館

高知地方法務局の依頼で制作した「人KENまもる君」が法務省全国統一の人権キャラクターとなる
2005
平成
17年
86
「やなせたかし記念公園」完成。同公園内に「やなせうさぎ」像完成
2008
平成
20年
89
「ジャイアントだだんだん」像完成
2009
平成
21年
90
「それいけ!アンパンマン」が単独のアニメーションシリーズの登場キャラクター数(1768体)でギネス世界記録に認定

アニメ放送1000話目達成
2010
平成
22年
91
朝日小学生新聞に「やなせたかしのメルヘン絵本」連載開始('10 ~ '13)
2011
平成
23年
92
「たたかうアンパンマン」像完成

高知県名誉県民顕彰
2013
平成
25年
94
10月13日、永眠
*横スクロールで年表をご覧いただけます。